
「犬も歩けば棒に当たる」には二つの意味がある?
犬が登場することわざといえば、まず思い浮かぶのが「犬も歩けば棒に当たる」ではないでしょうか。「いろはかるた」でもおなじみで、「犬棒かるた」と呼ばれることも。
このことわざには、実は二つの意味があります。もともとは、「でしゃばると災難に遭うこともある」という意味で使われていました。一方、現在では、「行動していると思いがけない幸運に出会うこともある」という良い意味で使われるケースが多くなっています。
同じことわざなのに、災難にも幸運にもなるとは面白いですね。愛犬なら、お散歩に出た先で仲良しのワンちゃんに会ったり、かわいがってくれる人に出会ったりすることもあります。今なら、うれしい意味で「犬も歩けば棒に当たる」と言いたくなりそうです。
「猫に小判」はネコちゃんには失礼?
「価値のわからない相手に貴重なものを与えても役に立たない」という意味の「猫に小判」。こちらもよく知られた江戸時代からのことわざです。
どれほど高価な小判でも、ネコちゃんにとっては何の価値もありません。とはいえ、当たり前ともいえます。ネコちゃんにとっては、小判よりお気に入りのおやつやおもちゃのほうがずっとうれしいはずです。オーナー様の、なでなでが大好きな子もいるでしょう。
ネコちゃんは価値がわからないのではなく、「大好きがわかりやすい」ともいえそうです。そういう意味では「猫に小判」は、ネコちゃんに失礼かもしれませんね。
ネコちゃんの手まで借りたいほど忙しい!
忙しくて人手が足りない様子を表す「猫の手も借りたい」。役に立ちそうにないネコちゃんの手でも借りたいほど忙しい、という意味です。江戸時代の浄瑠璃作者である、近松門左衛門の作品に登場します。
確かにネコちゃんに、お仕事や家事を頼むのは難しそうです。それどころか、新聞を読もうとすれば上に乗り、パソコンを使えばキーボードの前に座る愛猫もいるでしょう。
お手伝いをしてくれるどころか、仕事がなかなか進まないことも。それでも、そばにいてくれるだけで疲れがやわらぐのですから、ネコちゃんの手にも別の役割があるのかもしれません。
「飼い犬に手を噛まれる」のワンちゃんは悪者?
かわいがっていた人や信頼していた人から裏切られることを「飼い犬に手を噛まれる」といいます。ワンちゃんにとっては、こちらも江戸時代から伝わる少々不名誉なことわざです。
実際のワンちゃんが噛む場合には、怖い、痛い、嫌なことをされたなど、何らかの理由があることもあります。「かわいがっていたのに裏切った」とワンちゃんを責めるのは、ちょっとかわいそうですね。
江戸時代は、町中にたくさんの犬がいたそうです。なついていたと思われるワンちゃんに、手を噛まれてショックを受けた町民がいたのかもしれませんね。
「猫舌」は本当にネコちゃんから生まれた言葉
熱い食べ物が苦手な人を「猫舌」と呼びます。この言葉は、ネコちゃんが熱い食べ物を苦手とすることから生まれたとされています。
「猫舌」という言葉は、江戸時代にはすでに使われていました。しかし、熱いものを苦手とする動物はネコちゃんだけではありません。それなのに「犬舌」ではなく「猫舌」が残ったのも面白いところです。昔の人が身近なネコちゃんの様子をよく観察していたからこそ、生まれた言葉なのかもしれません。
「借りてきた猫」になるネコちゃんは今も昔も変わらない
普段とは違って、妙におとなしくしている様子を「借りてきた猫のよう」といいます。なじみのないところに連れてこられたネコちゃんが、警戒してじっとしている様子から生まれた言葉です。
たしかにネコちゃんは、環境の変化に敏感です。いつも家の中を走り回っている愛猫が、知らない場所では固まっている姿を見たことがあるオーナー様も多いでしょう。特に、動物病院では急に静かになることがありますね。おうちに帰ってから「なんで病院に連れて行ったの?」と愛猫に怒られるオーナー様もいらっしゃるのではないでしょうか。
まとめ
ほかにも「猫をかぶる」「猫の額」「犬の遠吠え」など、犬や猫が登場する言葉はたくさんあります。
これほど多くのことわざや慣用句があるのは、昔からワンちゃんやネコちゃんが人々にとって身近な存在だったからなのでしょう。日々の行動や表情を眺めながら、「こんなところが面白い」と感じていたのかもしれません。
昔から伝わる言葉と、目の前にいる愛犬・愛猫を比べてみるのも楽しいものです。
「これは本当にその通り」「うちの子には当てはまらない」と考えながら観察してみると、愛犬・愛猫の新しい一面が見つかるかもしれませんね。

