知っておきたい犬種の基礎知識
バラエティに富む犬の姿
品種が確立していて私たちの身近にいる動物といえば、真っ先に浮かぶのが犬ではないでしょうか。しかし、品種が確立していて身近にいる動物といえば、猫、馬、牛、豚、鶏等、犬以外にもたくさん存在しています。その中で、犬だけが際立っていることがあります。それは、見た目、つまり姿にさまざまなバリエーションが存在しているということです。
今回は、この豊富な犬種について、どのように成り立ってきたのか、背景にはどのようなことがあったのかについて、説明していきます。
犬種はどのように成り立っていったのか
北部イラクにある紀元前600年頃の壁画に、アッシリアの王族が大型の犬を使ってライオン狩りをしている様子が残されています。この犬は、ライオン狩りという目的に即した機能を備えた大きな体をしており、自然に出来上がった犬ではなく、能力に従って選択繁殖をした犬であろうと考えられています。
このように、選択繁殖をすることで能力を引き出した犬を生み出すというのは、ヨーロッパには古くからあった概念のようです。その根底には、「ある動物の特徴を残して改良し、もっと良くしたい」という気持ちがあったのでしょう。
犬を種類によって分類するという作業は、イギリスでは1400年代後半には既に行われていたようです。1570年代に、エリザベス女王一世の担当医師であるジョン・カイウス博士が「イギリスの犬辞典」を著しています。これが、最初の本格的な犬の分類であるといわれています。この辞典では、機能別に分類が細かく行われており、現在の分類とほとんど変わりがありません。
狩猟犬は獣を狩る犬、鳥猟に使われる犬に分かれています。獣を狩る犬には嗅覚ハウンド、視覚ハウンド、テリアが属し、鳥猟に使われる犬にはセター、スパニエルの名が連ねられています。3番目の「やさしい犬」というグループには小型犬やスパニエルの小型犬が入っており、4番目のグループが牧畜犬、最後が雑種となっています。
もちろん、この頃は大雑把に分類をしているだけで、現在のように組織立って純血種を作出し、血統を登録するような繁殖は行われていませんでした。しかし、人々は犬の機能に着目し、機能別に分類するという文化ができ、そこから「犬種(純血種)を作る」という情熱に変わっていったといえそうです。
犬種の誕生
犬種とは、同じような素質や見かけを持った犬たちの集まりのことをいいます。そして、その集団内で子犬を生ませれば、両親と同じような素質や見かけを持つ犬が生まれてこなければなりません。
したがって、犬種(純血種)の大本を辿るとローカルな野犬であったり、違う犬種を掛け合わせたデザイナー・ドッグだったりすることもあります。しかし、その後も同じ見かけで同じ質の犬を一定して世に残せるようになるまでには、何度も選択繁殖を繰り返していかなければならず、とても年数のかかる作業となります。
この、選択繁殖による純血種を生み出すのに長けていたのも、やはりイギリス人だったようです。18〜19世紀にかけて、イギリスではたくさんの純血犬種が生み出されました。ラブラドール・レトリーバー、アフガン・ハウンド、ポメラニアンなどもその中の犬種ですが、いずれも出身国はイギリスではありません。
このように、イギリス人はさまざまな土地から地犬を集めては、犬種としてデビューさせていきました。もちろん、自国のローカル犬も、各々の特徴を持つ犬種として作り上げていきました。テリアがその良い例です。なぜ、イギリス人はこのように犬種を次々と増やしていったのでしょうか。それは、ドッグショーの始まりに由来するといわれています。
ドッグショー
前述の通り、ヨーロッパでは犬と機能の結びつきが密接で、それ故に人と犬との結び付きも深くなりやすかったのでしょう。人と犬との共同作業は狩猟や牧畜だけではなく、エンターテインメントの世界にも広がっていきました。しかし、エンターテインメントの世界の始まりは、雄牛や熊に犬をけしかけさせてその戦いを観戦するとか、犬を使ってネズミ捕り競争をさせるといったようなものでした。これらは動物虐待ということで禁止されていきます。
そんな中、1843年にロンドンの動物園でスパニエルのための展覧会が開催されました。元々、イギリスはヴィクトリア時代からさまざまな展覧会を行うのが好きな国柄だったようで、「犬の展覧会」という発案を得て、次々とドッグショーの世界が広がっていきました。当時の富裕層は、狩猟犬を懸命に繁殖させていましたので、ドッグショーでも狩猟犬が中心となっていったようです。
1859年にニューキャッスルで本格的なドッグショーが初めて開かれましたが、集まったのは狩猟犬であるセターとポインターの60頭でした。そして、このショーに集まったサポーターは1500人でした。その後、同じ年に開かれたバーミンガムでのショーにはスパニエルが加わり、翌年のショーにはハウンドも加わりました。
こうして、ケネルクラブが設立されるまでの1873年までに、50のドッグショーが開催されました。ただし、この時期は公の血統書もなく、スタンダードといわれる犬種標準の規定もありませんでした。
ケネルクラブとブリーダー
ドッグショーの人気が高まるにつれ、それらを組織立てたりルールを作るなどの、管理面の強化が必要となりました。1873年、それを請け負う機関としてイギリスに世界初のケネルクラブが誕生しました。正式名称は、The Kennel Clubで、KCと略します。その後、1884年にアメリカではアメリカン・ケネルクラブ(AKC)が創設されました。
ケネルクラブでは、まずスタッドブック(血統登録簿)を作成しました。1859年から1874年までの犬たちを網羅し、40犬種、4027頭の血統が記録されました。ここには、当該犬の名前、父犬、母犬の名前だけではなく、1859年に遡るまでのその祖先の名前が記されているのです。そして、同じ犬種内で同名の犬が発生しないようそれぞれの犬に独自の名前(血統書名)をつける、どのブリーダーによって作成されたのかがわかるように名前の一部に犬舎名を入れる、などの細かいルールが定められました。
なお、イギリスとアメリカのケネルクラブに対抗すべく、1911年に、ヨーロッパのケネルクラブを傘下にしてそれらを統括するケネルクラブが設立されました。それが、FCI(Fédération Cynologique Internationale)です。現在は、ヨーロッパだけでなく、ロシアや南米の国々の100近いケネルクラブが加盟しています。日本では、国際畜犬連盟と呼んでおり、ジャパンケネルクラブ(JKC)もFCIに加盟しています。
犬種には、スタンダード(犬種標準)があります。それぞれの犬種ごとに、耳はどの辺の位置に付け根があるのか、垂れ耳の場合はどのように垂れているのか、体の高さや長さに比例して脚はどれ位の長さであるべきかなど、体の部位ごとに細かく規定されています。ドッグショーでは、審査員はこのスタンダードに従って犬を評価します。新しい犬種が確立すると犬種クラブが設立され、そこで血統の管理が行われますが、その犬種を国際的に認めてもらうためには、FCIやAKCなどの国際的なケネルクラブに認められなければなりません。しかし、FCIとAKCでは、スタンダードの採用基準に違いがあるため、同じ犬種であってもFCIとAKCではスタンダードに若干の違いが生じている場合もあります。
先ほど、血統書名にはどのブリーダーによって作成されたのかがわかるようにすると説明しました。ブリーダーとは、犬をブリーディング(繁殖)して生み出す人のことを指します。犬種が確立したからといって、その犬種は放っておいても維持できるというわけではなく、絶えず選択繁殖を行なっていかなければならないのです。つまり、ブリーダーの仕事は、犬種のスタンダードを遵守できるように、犬を選んで繁殖することです。
そして、ブリーダーにとって大事な物差しがドッグショーになります。ブリーダーが作った犬がドッグショーで審査され、どこが優っているのか、劣っているのかを把握し、ブリーダーはスタンダードを遵守できる犬の繁殖を行うことができるのです。もちろん、生まれてきた犬は健康でなければなりません。閉じられた集団内での繁殖となりますので、スタンダードの遵守だけではなく、遺伝子の多様性を確保できるよう、しっかりとした管理の下に繁殖を行なっていくことも大切な役割です。
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